【ネタバレ注意】漫画「魃鬼(ばっき)」の結末とは?魃鬼の正体は?辻村修介と蕪木春のその後は?

こんにちは、犬王です。

ふと古本屋で手にした漫画「魃鬼(ばっき)」を読んでみましたが、終始、日本ホラー独特の何か陰鬱な雰囲気が漂い、集落の閉鎖的な異常性が存分に描かれる本作に引き込まれてしまいました。謎も多い作品となっておりますので、個人的な推論も交えて紹介してみたいと思います。

漫画「魃鬼(ばっき)」は意味深な結末で幕を閉じましたが、その意味するところは何だったのでしょうか?また魃鬼の正体は一体何だったのでしょうか?そして辻村修介と蕪木春のその後はどうなってしまうのでしょうか?

がっつりネタバレしていますので、内容を知りたくない方はご注意を。

それでは検証していきたいと思います。

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作品概要

作者は下川咲。

2015年秋の四季賞で四季大賞を獲得し、読み切りをへて「魃鬼(ばっき)」が連載デビュー作となった。

本作は昭和63年のある孤立した村を舞台としたホラー作品。

何百年も前からこの村で続く鬼神信仰。日照りの鬼「魃鬼」を崇め、その村を守護し、災い為す魃鬼様に娘を生贄に捧げるというおぞましい儀式が行われていた。

終始、不気味な雰囲気を纏う作品になっており、2巻で完結。

あらすじ

昭和63年、舞台は鬼釜村(おにがまむら)という四国山脈の麓にひっそりと広がる戸数、百にも満たない小さな村落。主人公・辻村修介は祖父が亡くなり、一人娘である母親が祖父の家を継ぐことにより、四国への引っ越しを余儀なくされた。修介は小さな頃にはお盆休みによくこの地を訪ねていた経験もあり、蕪木春など顔見知りもいたため田舎暮らしに馴染んでいった。しかし、あることがきっかけでこの村には悪しき習慣があることを知ることになる。その悪しき習慣のために壮絶なトラブルに巻き込まれていく。

人物紹介

辻村修介(つじむらしゅうすけ)

本作の主人公。高校3年生。家族思いで正義感の強い性格。蕪木春とは同い年。村の悪しき習慣に立ち向かおうとするが、苦難を強いられることとなる。

辻村日菜(つじむらひな)

修介の妹。辻村花菜とは双子の姉妹。中学2年生。おとなしく引っ込み思案で人見知りな性格。花菜の死後、だんだんと精神が崩壊していく。蕪木春に好意を寄せている。

辻村花菜(つじむらかな)

修介の妹。辻村日菜とは双子の姉妹。中学2年生。活発で明るい性格。あることがきっかけで命を落とすことになる。首はねじ曲がり頭もぐちゃぐちゃな状態で発見された。

蕪木春(かぶらぎはる)

蕪木家の長男。村の悪しき習慣を取り仕切る一家で、総代の見習いという立場。物腰柔らかな雰囲気だが、時折闇をのぞかせる。

蕪木秋介(かぶらぎしゅうすけ)

鬼釜村の総代。村を守護し、災い為す魃鬼様に娘を生贄に捧げる、すなわち人が人を神への供物として殺すという、おぞましい儀式を取り仕切る。

来栖千種(くるすちぐさ)

修介や春と同い年の幼馴染。一家はあることがきっかけで全員命を落としている。そして千種もまた儀式の生贄となってしまう。

冬馬

来栖千種の姉・百合と恋人同士にあったが、その後、百合は生贄に選ばれてしまい、心に傷を負う。その後、蕪木家に仕えるものの、百合の妹である千種を守ることを密かに決意する。

村の信仰と儀式について

鬼釜村は何百年も昔から人の血を糧に生きながらえてきた呪われた村であり、この村に蔓延する迷妄、鬼神信仰が存在する。

崇める神は日照りの鬼「魃鬼様」。地形の関係で雨が少ないがために、昔の人はその理由を村に魃鬼様が住み着いたと考えた。

魃鬼様は厄神で、然るべき、祭り方をしないと村に災害、人死に、流行り病など厄災をもたらすと考えられている。

村にとって良くないことが続くとある儀式で魃鬼様のご機嫌を伺うのである。

そして村を守護し、災い為す魃鬼様に娘を生贄に捧げる、すなわち神への供物として人が人を殺す儀式を取り仕切り、供物を屠るのが村の総代・蕪木家の役目であった。

村で起こる様々な事件

日菜の死

ある日、修介は唸るような声を耳にし、その音の在処に向かうとそこには春より立ち入りを禁じられている場所だった。

しかし気になる修介は花菜を連れてその場所に足を踏み入れてしまう。

階段をのぼり、その先にあったのは、縄についた複数の札で祀られた洞窟であった。

その洞窟に近づくと突如強い風に見舞われ、花菜が飛ばされてしまう。修介は花菜を受け止めた際に一枚の札を引きちぎってしまった。

後日、引きちぎってしまった札を修介の代わりに花菜が戻そうと洞窟に向かったが、その後、階段の途中で首はねじ曲がり、頭がぐしゃぐしゃになった状態で発見される。

その時は事故として処理されたが、実は総代・蕪木秋介の仕業であった。

役人の死

村は県の計画で2年後にはダム建設が行われ、村の移動が予定されていた。

それに伴い二人の役人が村を訪れ説明会を開いたが、当然計画に反対する村人たち。

そこで役人は「非人道的行為を神聖な伝統だのともてはやしているとか?」という言葉が発する。

その言葉を聞いた春は、計画を受け入れるという形でその場を終わらせた。

しかし、その帰り道、役人の乗った車は峠で転落し、2名ともが死亡する。

偶然か、村の何者かによるものかは明らかではない。

辻村修介の母と蕪木春の母の死

辻村修介の母と蕪木春の母には因縁があった。

二人は同級生であり、蕪木秋介と関係を持つ、つまり秋介を取り合う関係なのだ。

辻村修介、日菜、花菜は実は秋介の子供であった。

村の決まりで、結婚した二人に対し、納得の行っていない修介の母は春の母を殺害しに蕪木家に忍び込むが、二人は相打ちとなり共に死亡した。

千種の姉・百合の死

10年前、千種の姉・百合と冬馬は恋人同士で、百合のお腹には二人の子供が宿っていた。

しかし百合は残酷なことに生贄に選ばれていたのだ。そして百合と冬馬は村から逃げる事を決意する。

しかし二人はあまりに無力に捕らえられ、冬馬は拷問を受け地下牢に収監され、百合は生贄となってしまった。

冬馬はせめて百合の家族は守ると決意する。

冬馬の死と生贄として選ばれた千種の死

悪いことが続く村が決断したのは、魃鬼様へ生贄を捧げることであった。

そしてその生贄に選ばれたのは千種であった。

その話を聞いた修介は千種を守ることを決意する。

しかし、そんな中、急遽、儀式が当日に行われる事となってしまった。

千種の家にいた修介だが、そこに突如村田の爺さんが猟銃をもって、千種をさらいに来る。

そして邪魔者の修介を排除するため、村田の爺さんは猟銃を発砲するも、冬馬が現れ盾となり二人を守る。

しかし村田の爺さんはそのまま修介をも猟銃で殴りつけ、千種をさらってしまう。

意識を取り戻した修介と冬馬は千種を救うため、儀式の行われる洞窟に向かうが、冬馬は途中で力尽き、命を落とす。

修介は千種を救いに洞窟に向かうが、途中、春に道を阻まれる。

しかし春は現実の厳しさを知るといいと、修介に道を譲る。そして修介がたどり着いた時には儀式が行われる直前の状態であった。

次の瞬間、千種の首がはねられてしまう。

村の滅亡

千種の首を抱きしめ泣きじゃくる修介を、秋介が殺害しようとしたその時、大きな揺れが生じる。春はこの揺れは魃鬼様のご意思だと説き、秋介を止めようとするが、秋介は自身が魃鬼であると明かす。

その時更なる大きな揺れが生じ、落石により多くの人間が押しつぶされていく。

妹を連れ洞窟を脱出しようとする修介をなお秋介は殺害しようと動く。

刃物で切りつけようとする秋介を春は腕を切断されながらも秋介を制止し、修介たちを逃がす。

「修ちゃん、もし次があるなら、今度は違う形で会おう」という春の笑顔は、幼馴染の春の顔だった。

その後、修介は病院で目が覚める。

警察が言うには、修介と日菜以外の生存者はいなかったという。

結末

村の滅亡から10年が経ち、修介は目指していた警官となる。

妹の日菜は花菜がなくなる前の記憶から時が止まっていた。

修介はあの事件から心に大きな傷を負い、人と深く関わる事を避けるようになっていた。

そして、ある雨の日、街を歩く修介に一人の男性が声を掛ける。

その男性は片腕のない見覚えのある男性。

不敵な笑みを浮かべながら「やあ」と声を掛ける。

感想

終始、ジメジメとした恐怖を感じる本作だったが、最終的に謎を残す内容となっている。

結局、魃鬼の正体は何だったのか?ラストシーンで修介のもとに現れた春の不敵な笑みの意味するところは何だったのか?

魃鬼の正体とは?

魃鬼を検索してみると、魃(ばつ、ひでりがみ)という検索結果が現れる。

魃(ばつ、ひでりがみ)は、中国神話に登場する旱魃の神である。(かんばつとは、雨が降らないなどの原因である地域に起こる長期間の水不足の状態である。
旱は「ひでり」、魃は「ひでりの神」の意味である。)
特定の神の名ではなく、各地の山川に旱魃を起こす神がおり、それぞれにより姿も性質も異なる。

魃については下記のように様々な文献に記載されている。

・『山海経』の「大荒北経」
・『本草綱目』や前漢初期の書『神異経』
・隋時代の研究書『文字指帰』
・日本の江戸時代の百科事典『和漢三才図会』

その中でも私が注目したのは、『三才図会』に記述のある「神魃」である。

「神魃」とは、魑魅に類する人面獣身の獣で、手と足が一つずつしかなく、剛山という山に多くおり、これのいるところには雨が降らないという

上記の通り、魃鬼は日照りの神であり、本作でも”雨”の描写が多く、何かしらの意味をあらわしているように思える。これについては後ほど記述したいと思う。

千種が生贄となる際に蕪木秋介が自身を魃鬼であると明かしたが、一人の人間の狂気に村全体が踊らされていた、と捉えることもできるのだが、私は魃鬼と秋介は全く別の存在であると考える。

そして長く村人が信仰する魃鬼の意思と実際に存在する魃鬼の意思は全く異なるのではないかと仮説を立てみた。災害、人死に、流行り病など人間ではどうすることもできない、理解のできない事象に対して、神の仕業とすることにより、答えを得て心の安定を得る村人の意思と、封印され解放を求める魃鬼の意思が二つ存在したのではと考える。

それでは魃鬼の意思とは?

結末を見る限り、村の滅亡、つまりは封印からの解放ではないだろうか?

そして修介が導かれるように洞窟にたどり着き、札を一枚剥がしたことにより封印が少し解け、その意思は春へ乗り移ったのではと私は考えた。その時のシーンでは春の指から血が滲み、その後ガラス越しに魃鬼が突然姿を現す描写となっている。

そして魃鬼の存在を表現するものとして雨が用いられているのではと考えた。

そう考えると花菜の死や役人の死は魃鬼の意思ではなく、秋介や村人が独自で行ったことなのではと思う。

・ラストシーンで修介のもとに現れた春の不敵な笑みの意味するところは何だったのか?

先述の通り、最後修介を助けた春の顔は幼馴染の本来の春の顔であった。

そのため、再会時も幼馴染としての笑顔を見せても良いところであるが、なぜ不気味な描写となっているかというと、それは魃鬼が未だに存在している事を表現するためではないかと思う。

『三才図会』に記述のある「神魃」では手と足が一本ずつないという物であるが、春が片腕が切断されているのも、それを表現する一つであり、このシーンでも本作では魃鬼の象徴であろう雨が降っている。

つまり封印が解け、春に乗り移った状態で魃鬼は存在しているのだ。

最後に

この記事はあくまで個人的な見解であり、作者の意向とはかけ離れているかもしれないが、私は先述したように本作を解釈した。本作は読む人によって様々な解釈ができる作品となっているので、気になる方は是非一読頂ければと思う。